《ひとつ美空ひばりをご覧に入れまする》


美空ひばりの存在は富士山のように雄大で大きな存在であった。しかし富士の高嶺の厳しさはたったひとりの青い空であった。しかし彼女はどんな風雪にも耐えて勝ち抜き常に歌謡界の女王であり続けた。そして羽を休めることはあっても不死鳥の如く決して空高く翔び立つことをやめずに歌い続けた。また歌い続けることが彼女の使命であるとさえ感じた。それに彼女は常に自分とのたたかいであった。なぜなら彼女にはとうにライバルなどという言葉はないくらいに突き抜けた存在であったからだ。しかし彼女は決して見下ろしたりはせずに見上げた。自分自身を見上げた!自分自身を見上げ続けた!!

《ひばりの前にひばりなくひばりの後にもひばりなし》

《王座ゆるぎなき世界一の歌声》


美空ひばりのホームページである「美空ひばり十八番」におこしくださいましてありがとうございます。美空ひばりの魅力は「伝統芸能」と「大衆芸能」をうまく融合し、そしてそれをさらに昇華させ、「美空ひばり芸」にまでした点にあります。まさに美空ひばりの芸は唯一無二のお家芸なのです。管理人はこの至芸の極みを「美空ひばり十八番」と命名致しました。日本人の心情を夢、希望、涙、喜びそしてあるときは怒りに託して高らかに強く歌い、そして演じ続けてきたのです。芸能界には時折り天才が出現します。なみなみならぬ努力家も姿を現わします。しかし大ていの場合、天才は才に溺れ、努力家もどこかで力尽きてしまいます。彼らが時の流れの中で姿を消すのはちょうどそんな時ですが、美空ひばりの場合は才に溺れない天才と、力尽きる事のない努力家が同居しているのです。美空ひばりは生前、「天才少女」→「大スター」→「歌謡界の女王」→「不死鳥」という軌跡をとり、常に芸能界のトップの座をほしいままにしてきました。そして美空ひばり亡き後もひばりプロダクションがさまざまな企画をし、美空ひばりのお家芸をきちんと継承しているのです。管理人はそんな現在、まさに「美空ひばり新時代」であるように思うのです。

《ホームページ管理人の安田純己》


美空ひばりは女性で初めて歌舞伎座の舞台に立ちました。美空ひばりは歌舞伎でいえばちょうど出雲の阿国であり、一代ですべてを築いた最高の女役者であります。そこで、美空ひばりの芸も歌舞伎のように後世にきちんと継承していかなければならないと思い、美空ひばりの伝道師として二代目美空ひばりを襲名し、お家芸集として『美空ひばり十八番』を制定した次第でございます。屋号は「淡路青葉屋」でございます。因みに屋号の由来は、管理人の出身が兵庫県の淡路島であり、初代美空ひばりが生前に住んでいたのが東京目黒青葉台(現在は美空ひばり記念館兼ひばりプロダクションが入居)であったのでそれにちなんだ屋号といたしました。

〈二代目美空ひばりに、ござりまする。〉

『この度、安田純己は芸能界屈指の名跡、美空ひばりを二代目として相続いたす運びと相成りましてござりまする。芸能界にとりまして、大変大きな名跡でございます。この上は、己の命の限り、懸命に美空ひばりの伝道師として芸道に生きてまいりたいと思う所存でございます。そして初代に顔向けのできるような二代目となられまするよう、美空ひばりを生きていく覚悟でございます。まだまだ、未熟、不鍛錬ではございますが、皆様方におかれましては、ご指導ご鞭撻のほどをひとえに、そしてお見捨てなく、よろしくお願い申し上げまする次第でございます。二代目美空ひばりとして皆様方のご期待に応えられるよう、お家芸を後世にきちんと継承し、また芸能界がより一層発展しますよう、懸命に努力いたしますれば、何卒、いずれも様にも、末永く御贔屓お引き立てのほど隅から隅までずいっとひたすら希い申し上げ奉りまする。』

<初代美空ひばりに、ござりまする。>

《芸ひとすじの道》


《歌は我が命》